shinto japan japanhistory shrine kyoto photography instagram abstract acrylic artist dragon kansai kyotojapan shintoshrine japanholiday japanholidays japanhome japanphoto japanphotographer japanphotography japanphotos kyoto_style kyototemple kyototemplerun kyototemples shintoshrin tengu tokyo kyotostyle
⛩#神社フォトコンわたしと神社 ⛩
@jinja_photocon では皆様がご投稿された神社のお写真を紹介させて頂いております。
.
Photo by @ayuayudon1102 .
.
鳥取県大山町御鎮座、大神山神社
.
.
6月初旬に行われる夏の山開き祭の前夜祭にたいまつを持ったたくさんの人が神社の参道を練り歩くたいまつ行列が行われるそうです。
古より続く伝統の空気が御神域に折り重なって独特の雰囲気を作っていますね。素晴らしいお写真ですね。
.
.
@ayuayudon1102 さま、ありがとうございました。
.
.
#鳥取 #大山町 #大山たいまつ行列 #たいまつ行列 #大神山神社 #たいまつ
⛩#神社フォトコンわたしと神社 ⛩
@jinja_photocon では皆様がご投稿された神社のお写真を紹介させて頂いております。
.
Photo by @buraazuki .
.
香川県観音寺市御鎮座、高屋神社
.
.
標高404メートルの稲積山の頂上にご鎮座する高屋神社の天空の鳥居と呼ばれている場所からの眺めです。
新緑の樹木のフレームの中に観音寺市街地と真っ青な空と瀬戸内海の雄大な景色が見えます。暖かく爽やかな初夏の空気が伝わる素敵な一枚ですね!
.
.
@buraazuki さま、ありがとうございました。
.
.
#式内社 #観音寺市 #香川県 #稲積山 #天空の鳥居 #高屋神社 #瀬戸内 #絶景
#暁の祭典
#浜降祭 その①
湘南地方随一といわれる壮大な夏の祭典である浜降祭は、毎年7月の海の日の早朝、茅ヶ崎・南湖の浜(西浜海岸)において斎行されます。寒川神社をはじめ、寒川町・茅ヶ崎市の各社の神輿約40基が夜明けとともに南湖の浜に参集するその勇壮ぶりから「暁の祭典」と呼ばれています。
これほどの数の神輿が一堂に会する祭典は全国的に見ても非常に珍しく、昭和53年に「神奈川県無形民俗文化財」に指定され、「かながわのまつり50選」に挙がるなど神奈川県を代表する祭典であるといえます。
祭典日と梅雨明けの時期が概ね重なることから、浜降祭は「湘南地方に本格的な夏の到来を告げる祭典」といわれ、地元の人々に愛されています。
古来より「ハマオリ」とは海辺における「禊」を意味しており、「海水」の持つ霊力により心身を清め、神霊の更新を図るとともに新たな御神威を授かる神事であると考えられます。このような類例は全国各地に見受けられ、古くから伝承されている習俗です。
県内では、平塚市鎮座の平塚八幡宮の例祭日に行われる浜降神事をはじめ、海岸地域に鎮座する多くの神社で同様の神事を確認することができます。しかし、それらは当該神社による単独の神事形態であり、寒川神社の浜降祭のように近隣市町の神社の神輿が一堂に参集する神事は極めて稀です。
#寒川神社
#神輿
#7月
#海の日
#禊
#神社
#八方除
#裏鬼門
#レイライン
#パワースポット
#一之宮
#神奈川
#無形民俗文化財
#御朱印
#samukawajinja
#jinja
#shrine
#shinto
#pray
#japan
#初夏
#寒川神社
#神嶽山神苑
#内門
#真行草
「真」は正格、「草」は柔らかな風雅、「行」はその中間。
難波の小池を中心とした神聖な神嶽山を「真」、苑路を進むにつれ「行」、そして「草」へと移り変わり、また「真」へと帰る世界を神嶽山神苑は表しています。
この内門は「真」の世界から「草」の世界へと切り替わる結界の意味を成しており、これより先は池泉回遊式庭園が広がっております。
※月曜は休苑(祝祭日は開苑)
※神苑への入苑は御本殿での祈祷を受けられた方、または当社からお送り致しました暑中見舞い・寒中見舞いをお持ちの方に限りますのでご承知下さい。
#神社
#一之宮
#八方除
#レイライン
#パワースポット
#裏鬼門
#御朱印
#四神相応
#陰陽五行
#日本庭園
#日本
#jinja
#shrine
#shinto
#japan
#暁の祭典
#浜降祭 その②
寒川神社をはじめ各社の神輿が参集する形態を有する浜降祭ですが、現在の祭場である茅ヶ崎市・南湖の浜で始まった理由については諸説あります。
その一つが御祭神降臨伝承説です。南湖の浜には八大龍王の碑文が祀られており、この場所が寒川大明神の降臨地であるとの記載がありますが、史料的な確証はなく、あくまでも伝承の域を出ません。
もう一つは、天保年間に起こった歴史的事実に基づく説であり、看過できないものであると考えられます。
天保9年(1838)5月5日、國府祭に参加した寒川神社の神輿がその帰路、馬入の渡し場(現平塚市)で地元氏子の争いに巻き込まれ、大雨により増水した相模川に転落し、遥か相模湾まで流出してしまいました。
このとき狼藉を、はたらいた16人には打首の刑が科されましたが、代官・江川太郎左衛門の温情により、丁髷(ちょんまげ)を切落とすことで事済みとされました。その丁髷は馬入の蓮光寺に葬られ、現在「丁髷塚」としてその姿を残しています。
一方で、寒川神社では神輿流出という未曾有の状況に際して、湘南海岸一帯の村々に対して、300石の報償金を付け、神輿の捜索を依頼しました。江戸時代、寒川神社が徳川幕府から与えられた社領は100石であったことを鑑みると、神輿の捜索をいかに重要な事項として捉えていたかが分かります。
捜索を依頼してから数日後、南湖の浜で地引網を曳いていた地元に住む網元・鈴木孫七は、海中に沈んだ神輿を発見しました。
孫七は神輿を自宅の裏山に安置して寒川神社へ急報、3日後無事に神輿は寒川神社に戻ったといわれています。この功績により孫七は寒川神社より若干の社地を賜わり、寒川神社の禊場も孫七の漁場である南湖の浜へ移され、同時に寒川神社の神輿が渡御するのが慣例となり、鈴木家は御旅所神主に任命されました。以後、鈴木家は代々「鈴木孫七」と名乗り御旅所神主を務めるようになり、現在で10代目になります。
#寒川神社
#神輿
#7月
#海の日
#禊
#神社
#八方除
#裏鬼門
#レイライン
#パワースポット
#一之宮
#神奈川
#無形民俗文化財
#御朱印
#samukawajinja
#jinja
#shrine
#shinto
#pray
#japan